我が家のりんご


9月の強風で2個落ちました。その後運営委員会のとき2個捥いで食べました。まだ青臭く甘みもいまいちでした。25日の強風はものすごくて電車が止まって会議に参加するのに歩きで来た人もいました。今日は風も穏やかだったので一寸散歩に出ました。日差しはあったのですが木の葉は色ずき始めていて季節は冬の入り口です。さて我が家のりんごはどうなっているかと覗いてみると大きな実が2個残っていました。驚いたのはその他に小さな実が3個在りました。8月に季節外れの花が咲いたのですがその花が実になって大きくなろうと頑張っているところでした。あと一月もすると仙台も初雪がきます。この小さなガッツマンたちは間にあうのでしょうか!?

2015102921101846a.jpg
スポンサーサイト

あとがきみたいなもの

とりたてて何もなく約束の旅(けい君が仙台を離れる時には皆んなで旅をしようよ、と言っていたのです)は終りました。この旅を終えておぢさんは少し変わりました。ひとつは人との付き合い方です。これまでは勝手にもてなしみたいな事を続けていました。どういう事かと言いますと相手の都合も聞かずに食事を用意してもめた事もありますし嫌いだという事を知らずに作って無理して食べさせてしまったと後で気付かさせられた事もあります。食事に限らず何かにつけて余計な気を使って相手に負担を強いたりしていたのですが今はおぢさんのところに来てくれている人たちは皆さん立派な大人なので欲しかったり必要だったりしたら自分から言ってくれるだろうからあまり余計なことはし無いほうが良いのだとしました。
そういう意味で今回の旅ではほとんど口を出さずに若い人たちにおんぶしました。結果はやはりおぢさんが口を出しすぎだったのだと確信したのでした。
ふたつめは介護保険になって生活がものすごく変わって日常のケアの一つ一つがプランがあるとか無いとかで決められ、事業所によって対応が違い、更にヘルパー個人によっても違ったりするのでそれに対応するのに疲れて用事を頼むのも面倒くさく何もする気がなくなっていました。それが旅を終えてからは唯唯一日が終わるのを待っているといった生活を送っていたのが今やれる事、やらなければいけない事をしないといけないなぁ…と思うようになりました。それはふるさとを無くしたからかなぁと……。帰ろうと思えばいつでも帰れたのでそれほど意識をしなかったのが歳をとって体が動か無くなるとものすごくふるさとが恋しくなります。何かにつけて思うのは邪気なく遊んだ山や川、懐かしい風景ばかりです。帰りたくても帰れなくなった場所にせめてもう一度と思って若人たちに付き合ってもらいました。しかしいざ近ずくと変わりすぎた風景に見知らぬところに来たような不思議な感情がわいたのです。全体を見回してもベットの上から想いを馳せる風景はなく懐かしさを語る場所も消えてしまっていて自分のふるさとは思い出の中だけなのだと実感したときにもう帰るところは無いんだと吹っ切れたのかもしれません。
入院している妹の見舞いに行った帰り付き添っている母を残し父の漕ぐ自転車の後ろに乗って家路を走ったときは背中いっぱいの夕日に後押しされたのに、もう帰ることもないふるさとを離れるときは暑いくらいの西日にじりじり胸を照らされたのでした。
これからわたしは心の拠り所を新しく探さなければなりません。まごまごしてられないのです………。

おわり


川面に影を落としていた大きな胡桃の木、カブトムシをはじめ虫たちの社交場だったでっかい皀莢の木も枝が重なり隧道のようになっていて雨宿りをした李の木も消えてしまった。行きも帰りも人影を見かけず気配すら感じられず聞こえるのは川の音と遠くから聞こえる犬の鳴き声だけです。諦めと寂しさの入り混じった気持ちで戻ると住んでる人には申し訳ないがこんな何もない廃村みたいな処に何の感慨もない若者たちが帰りのコースが決まりましたと外に出て来た。おぢさんはすぐに車に乗ってしまったのでそのままトナリのシンジ君と皆んなで「ハイ、チーズ」
帰りはバイパスを通らず中坊の頃流した町中を抜けたのですがあんなに賑わっていた通りは人影が無く、開いている店も見当たらず車数台とすれちがっただけでした。バイパスを造れば町が廃れるのは当然知っているはずなのにね?それでも町の外れの端っこの物産館でいつもお世話になっている人たちにお土産を買おうと寄ったのですが変わりばえのしない物しかなく本当に何もないんだとため息がでました。
兄の自転車の後ろに乗って走った道を通り、隣町に入り、すぐ上の兄と行った映画館のあった前を抜けて小学校の前の急な坂を登りきると右側に広い道路ができていてそこから温泉があるという道の駅に向かって車は進みます。
まだ新しさの残る道はまるでといってもいいほどに車が見あたりません。夏を思わせるようなじりじりとした日差しを浴びながらガードレール沿いに列なり手招きをする芒に誘われて道の駅に着きました。人はたくさんいましたが何をするでも無く百はラクに入る食堂はいっぱいなので旅といったら温泉と揺るぎのない若者たちは風呂に行きおぢさんはえむくんと地場産品でも買おうかと狭い通路を強引に店に入ったが珍しい物も無く人が多いので早々に店を出ました。驚いたのはおぢさんが好きでわざわざ石川県から送ってもらっている「麦とろ麺」が地場産品として売っていたのです。山梨県産?と思ってましたが何処にでもあるのでしょうか??でも蕎麦でもなく饂飩とも言えないこの麺は美味いですよ…風呂上がりの4人と合流して遅い昼食をすまして明るいうちに仙台に帰り着きました。
こんなおぢさんに付き合ってくれた5人のみなさんありがとうございました。
家族サービスや連休を有意義に過ごす計画もあっただろうにすみませんでした。
本当は今回の旅の主役だったはずのけい君、赴き先の新天地での活躍を期待しています。もしももしも機会があったらこの旅のやり直しをしましょう。しっかり予定を立てて、グルメ有り温泉有り、絶景有りの旅を7人で…ね。

限界集落


田舎をなめた結果が夕食に直結してメインのない何を食べたかわからない雑な酒の場になりました。トナリのシンジ君の話では30キロも行かないとスーパーがないと言うのです。シンジ君を含めた7人でバカ話をしながら夜が更けてシンジ君に買って来たビールに手をつけたところでお開きとなりました。寒かろうと電気毛布を持参したのですがそれでも明け方は冷えました。
朝食後はあとかた付けと帰り支度は面倒見の良い働き者たちに任せて散歩に出ました。あの昔、東京オリンピックのあった年まで数万回行き来した道をゆっくり下りながら竹田君に懐かしい山や川をDVDに収めてくれるようにお願いしました。生活に必要とされなくなった川は淀みは消え泳いだ淵も姿を隠しています。荒れきった川は流れを急にして静か過ぎる集落に大きすぎる音を立てて流れていて子供の頃釣り糸を垂らしたり花火で遊んだ橋は板からコンクリートに変わり、らんかんはガードレールに変わってる。見渡す水田はきれいに整地された田んぼになっていていろんな家族が小さく区切られた田の中で泥だらけになって働いていた思い出の風景が霞んでいきました。畦道が消えて一面黄金色の上を少なくなったアキアカネが飛び交う向こうに昔と変わらない場所に変わらない形で立っているのはいたずらに登った火の見櫓だ。半鐘の有る無しまでは見えないが使われる事が無くなってそのまま放置され忘れ去られているのに意地で立ち続けているように見えました。

ふるさとへ

言い出しっぺのおぢさんのちゃんと雨風をしのげるのかどうかの不安を抱えて車は進む。言いわけをするわけではないが今回の旅は宿を確保できず温泉も何もない旅なのでせめて晩飯は特別に美味い物を食べてとりあえず格好をつけたかったので気仙沼の市場的なところで新鮮な魚介類を買って、遠くから来てくれたOB諸君をもてなそうと前日の夜から相談を持ちかけていたのですが耳を貸してもらえませんでした。市場どころか道の駅もコースに入って無く夕食に何を食べたいかも考えていない始末でやむなく途中で魚市場という所に寄ってみましたが夕方だったせいか品数がほとんどなくおぢさんの思惑は手のつけようがないほど追い込まれてしまいましたがそれを知ってか知らずか若者たちは途中のスーパーに寄りましょうと車に乗った。「田舎をなめている」と思ったが自分も多少なめていたようです。幾つかの田舎町を通り過ぎたがスーパーらしきものはないのでとりあえずコンビニで今夜の寝床を準備してくれているトナリのシンジ君へのお菓子を買った。トイレをすませてまた走り出したがどんどん田舎に突き進んで人家もまばらになってもうおぢさんの思惑は完全に崩壊してしまった。岩手から宮城へR346を走る。いつも歩いた道ですが10年振りくらいでさらに逆行しているので集落に入る道を見落とすところでしたがすこし通り過ぎたところで気がついて山道みたいな道路をゆっくり入っていった。自分が子供の頃に遊んだ山川は面影もなく川底は上がり草が生えている。なんだか今夜の酒の味が思いやられるようなふるさとの夕暮れでした……。

中尊寺


車は4号バイパスで泉市を抜けて東北道に上がる。連休中なので混んでいるかと思っていたのですが肩透かしをされた感じで車は進む、高速道路に乗ってからしばらくはいわし雲だったのが岩手が近づくにつれて夏雲に変わって行く、勝手に寒さ対策をしてきたのだがここでも良い方に裏切られた。岩手に入り高速道を下り中尊寺が近づくにつれて道が混んで来た。情報では中尊寺の駐車場は満車だというのでホッカホッカ亭の大きな駐車場に車を置いて歩いて向かった。車道に車は連なり行き交う人が多くなった道の反対側にはわんこそばの大きな看板の蕎麦屋があってさすがに岩手だと笑えた。間もなく金色堂への上り口に着き行き交う人がさらに多くなり目の前には急な上り坂、回り道を考えるとかどうするこうするもなく正面突破という一番単純な方法を選んだ。なにしろ卒業して10年以上経つとはいえまだまだ元気な若者たちは朝食後の運動もまだだったこともあり体力を持て余していたのでしょうか?
しかしおぢさんは上り始めてすぐに愚痴りはじめたのです。何故?って、体力のある若者たちが代わる代わる重い電動車椅子を押したり引いたりしてくれるのですが滑り止めの為なのか2、3メートル置きに段差があり人ごみの中の急な坂を上るのは周りに迷惑を及ぼしかね無いなと思っていると案の定3人轢いてしまった。轢かれた人はこんな道に車椅子が入って来るとはと思ったでしょうね。頂上の手前の見晴らしのいいところで写真を撮ってトイレに入って、ソフトクリームを食べて拝観料を払って金色堂へ…どこにいっても行列に並ばなければならないのが面倒くさい、今更というか「ここまで来て」と怒られるだろうけどおぢさんは金色堂にあまり興味はないのですがとりあえずみんな揃って金色堂に入るとアナウンスが流れてそれにそって拝観者たちが覗き込む二重三重の人の背後から車椅子では覗く事も出来ず早々に外に出て、帰りは遠回りだけど車の通る緩やかな道をゆっくり降りて無断で車を止めておいた弁当屋でお詫びを込めて弁当と唐揚げを買ってどんなところかも期待の持てない今夜の寝所に向かったのですが……。