せいかつ

せいかつ
わたしが地域生活を始めた時、施設で知り合った知人友人の手助けを受けて暮らしていたが、わたしの持ち前の我儘が原因で皆んな離れて行ってしまい現在は誰もいない、皆んないなくなって一番困ったのはお風呂でした。半年程は福祉事務所と交渉して「便利屋」を頼んでいたのですがそこが廃業して10日に一度とか2週間に一度しか入れなくなっていた時に地区介護者会議の人たちと出会い、 その出会いがわたしの人生を決めたのです。
地区介と出会ったことでわたしの暮らしは大きく変りました。お風呂だけでなく外出もしやすくなり、寄る人のいなくなった隙間だらけの家に若者たちの熱い思いが広がって行くのを肌で感じた日々でした。地区介護者会議には在仙の複数の大学の学生や社会人もいました。差別や偏見が横行する社会の不平等に対して純粋な青春の怒りに似た思いが障害者に目を向けさせたのかもしれません。そうした人たちと接することでわたしの考えも大きく変わっていきました。子供の頃から「人に迷惑をかけてはいけない」と仕込まれてきたわたしは他人の手を借りるのは迷惑なことなのだと思い、兄弟にすら頼み事も弱み(弱音)も見せないようにして生きていて、地域生活を始めても社会に引け目を感じながら暮らしていました。タクシーの乗車拒否、ガラ空きの飲食店でも入店お断り映画館でも追い出しを迫られる。そんないる場所のない社会の中で必然(?)に出会った介護者たちに人生の指針を示された。とわたしは感謝しています。
それからは地区介で知り合った仲間たちとバスを乗り継いでいろんな大学や街でビラをまいて介護者募集をしたり他の障害者の支援活動など行動範囲が限りないのではと思うほど広がったのです。
介護者は手を貸してはくれますが基本的に自分で出来ることには手を出しません。バスなどに乗る場合乗降口から中にいる乗客に「すみませーん、乗るのに手を貸してくださーい」と声を掛けて手伝ってもらい乗り込むのですが初めはこの「すみませーん」がなかなか出なく半ばヤケクソ気味に何とか声を出しました。停留所で待っていると植え込みのあるところに停められて車椅子では乗降口にも近付けない時などに介護者が運転手に言って後退させて乗り込んだりしていました、他にも乱暴な運転などへの不満などバスに乗るの一つからでも社会にかかわりながら生きはじめたはじまりのはじまりでしょうか?
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