せいかつ2

地域生活をはじめて一番最初に利用した公的サービスはヘルパーでした。当時ヘルパーの派遣は週3回、一回2時間が限度で主に家事で掃除洗濯、近所での買い物でした。ヘルパーになるには年齢制限があってある程度の人生経験が必要だったのかもしれません。
ヘルパーにお願い出来るのは 生活に必要な最小限のことだけなので他のことは自助努力するしかなくわたしも新聞の投稿欄などでボランティアを募ったり、ポスターを貼ったりした。当時は重度の障害者が単身で地域ぐらしをしているのがめずらしかったのか、思いやりの心をたくさん持ち合わせている多くの人たちからの問い合わせがありました。勿論善人ばかりではなく妬みや嫌がらせのような電話も何度もかかってきました。直接家まで来てくれた人もいましたがそのうちの半分の人は一度きりで連絡も無くなりました。残った人たちも数回は来てくれましたが一人二人と遠ざかりすぐに淋しくなりました。そこで学んだわたしのボランティア感はわたしのような単身生活の障害者には難しい存在だということでしょうか?何がそう思わせたのかと言いますと、わたしの呼びかけに集った善人たちはわたしのためにと人それぞれが部屋の配置から食事など教えてくれました。そして次にきたときに自分の指導どおりになっていないと不機嫌になりました。ときには見ているテレビ番組や聴いている音楽まで否定されたりしたのです。これは極端な例なのかもしれませんが当時施設に収容されていた障害者に対しての扱いはこんなものでした。しかしこの程度のことなら自分の強い気持ちでどうにかしてきましたが、どうにもできなかったのは皆さん時間や約束にルーズなこと、当時わたしは多少仕事をしていたのですがそこに支障が起きたり他の訪問者との関係にも微妙に影響がでてしまったのです。私の望む地域生活は訪問者に気を使い、訪問者同士の関係に神経を使うこんなはずじゃなかったとするイライラが我儘なわたしですから顔や態度が顕著に表現したので⁉︎
人がいない寂しさが人に合わせて暮らすことに優ってしまう、自分からこの指とまれをやっておいて、もうやめた‼︎なんて…我儘なんです。でもその時に集った善人の一人とは30数年後の現在も友人で一緒に還暦を越えました。
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